ファースト暮らすとよた
暮らしの声

暮らしの声

Interview
豊田の家族たち:写真メイン

豊田の家族たち:写真1

豊田の家族たち:写真2

Eさん

妻の親の介護をするため福岡から豊田へとやって来たEさん一家。ピンチになるたび人の助けを借りながら、今では足助地区に根を下ろし米農家として暮らしています。
行政のサポートを受けて
農の仕事も家もゲット。
家族5人で暮らしています。

voice1

妻の父の介護のため福岡県から豊田市へ。
休日は大自然を求めて山間地域を散策。

生まれは福岡県南部にある大牟田市。熊本県との県境に近く、あと10分も歩けば熊本県という山奥で子供の頃を過ごしました。間違いなく、足助よりも山深い場所です(笑)。
田舎での暮らしが嫌で仕方がなく、千葉県の大学へ行きましたが、結局今は田舎で暮らしていることを考えると、田舎に縁があったのだと思います。
大学卒業後は福岡へ戻り流通関連の企業などで働きました。結婚をしたのは、このあとです。このまま福岡で落ち着くことになるのかと思っていましたが、妻の父親の体調が悪くなってしまいまして、妻の実家がある豊田市へ越してくることになりました。と言っても足助地区で暮らすようになるのはまだ後のこと。豊田市の中心部にあった妻の実家に住みながら、介護の仕事をすることになりました。「介護の仕事をやりながら、妻の父の介護もすれば一石二鳥ではないか」などと考えたからです。結局7年ほど介護の現場で働き、介護福祉士の国家資格も取得することができました。
介護の仕事をしている間、休日になると足助や下山といった山の方へよく遊びに出かけていました。介護の仕事で心も身体も疲れ切っていたので、自然の中にどっぷりと浸かりたかったからだと思います。癒やしを求めて、足繁く通っていました。街中から車で30分もあれば大自然に触れることができるのは、豊田市の素晴らしいところではないでしょうか。

voice2

ハローワークで奇跡的な出会いが。
田んぼ仕事を手伝うため足助へ。

私にとって大きな人生の転機が訪れたのは30歳になった頃。ずっと介護をしていた妻の父が亡くなってしまったのです。「お義父さんのため」という思いで介護の仕事をずっと続けていたので、仕事に対するモチベーションが一気に無くなり、後先考えずに介護の仕事を辞めてしまいました。
この時期は「このまま惰性で仕事を続けて、このまま年老いて死んでいくのかな…」といったネガティブな発想ばかり。なかなか立ち直ることができませんでした。それでもなんとか重い腰を上げてハローワークへ行ったら、そこで奇跡のような出会いが待っていました。
「足助でこんな仕事がありますよ」と簡単なブースを出していた女性に話しかけられたんです。「農業に興味を持っている」という話をしたら、農家も営んでいる方にその場で電話をしてくれました。その方も「すぐにおいで」と歓迎してくれたので、お言葉に甘えて、田んぼ仕事の手伝いに行くようになったのです。
実は、農業は嫌いでやりたくありませんでした。子どもの頃、友達が遊んでいる時に親に手伝わされるのが嫌で仕方がなかったからです。しかしおかしなもので、いざ田んぼ仕事を始めてみたら、とても面白く、知らず知らずのうちにハマっていました。

voice3

ふるさと雇用再生特別基金を活用。
面接の場で就職先が決定する。

田んぼ仕事をするうちに「農業でも食べていけるのではないか」と感じていた私は「とよた中山間じおこし隊」(ふるさと雇用再生特別基金事業)という事業があることを知り、エントリーすることに。「とよた中山間じおこし隊」は都市部の若い人材を雇用して、中山間地域の産業を活性化させようという取り組みです。ちょうど第2弾への参加者を募集しているところでした。そこでたまたま株式会社あいのう流通センターという会社が人材を募集していることを知り、面接へ行ったのです。
そしたらその日のうちに「じゃあ、やってみるか」と採用が決まっていました。どんな仕事をするのかもよく分からないまま出かけたのに、まさかその場で採用になるとは思ってもいなかったので、とても驚きましたよ。実は、同じ日に別の人も面接に来ていたらしいのですが、「採用者が決まったのであなたの面接はしない」と言って、断ってしまったそうです。
あいのう流通センターは有機農法の生産者が立ち上げた会社。自分たちの作った野菜や仕入れた食材をお客様の自宅まで届けるのが仕事です。私は生産の仕事をメインにしつつ、週に1回は流通の仕事にも携わっていました。
あいのう流通センターで働いたのは4年ほど。肉体的にも精神的にも辛く農業の大変さを実感する日々が続きましたが、今の仕事につながるノウハウを習得することができました。

voice4

足助を勧める行政の声に従う。
足助での暮らしを即断即決。

足助で暮らすようになったのは、あいのう流通センターに就職してからのことです。はじめは会社のある小原地区で空き家はないか探していましたが、なかなか「これだ」という物件が見つからず、どうしようか悩んでいました。そんな時、たまたま足助の定住促進を担当している方に出会ったのです。
その方が「足助に来たらいいじゃない」と声をかけてくださったので「だったら探してみます」と答えたら、「今すぐおいで」と言って物件を紹介してくれました。もう即断即決という感じで、足助に住むことが決まりました。
就職先も住まいも、有無を言う間もなく決まってしまった感じです。ただ、嫌がっているのに無理矢理決められたというわけではありません。本当に流されるままというか、最初からこうなる予定だったのだと思わされる感じでした。これも人の縁ということでしょう。
足助での暮らしは五反田地区の空き家でスタートしました。一見すると何もないただの田舎町ですが、いざ住み始めてみると、私にとって宝物のような地域でした。とにかく住んでいる人が温かくて、いろいろとお世話になりました。私が会社を辞めて農家になったのも、実は地域の皆さんの後押しがあったからなのです。

voice5

農家になるきっかけを作ったのはご近所さん。

私が農家になるきっかけを作ってくれたのは近所に住む老夫婦でした。私たちが暮らすようになったら、「遊びにおいで」とちょくちょく自宅に招いてくれるようになったのです。たまにはこちらもお招きして、といった感じで互いの家を行き来するうちにだんだんと打ち解けていき、私たちのことも気に入ってくれるようになりました。
そうやってお互いの関係性ができたと思ったら、ある時「ここで農家をやったらどうか」と声をかけられたのです。その時はまだあいのう流通センターで仕事をしていたので、最初のうちは「できない」と断っていたのですが、「まあちょっとやってみたらどうか」という感じで結局押し切られてしまうことに…。
会社を辞めるわけにもいかないので、最初は働きながら6反ほどの大きさの田んぼで米を生産することになりました。実は別で生産している方がいましたし、米作りは会社でやっていたとはいえ「私がやっていいのでしょうか」という気持でいっぱいでした。それでも田んぼの地主さんたちが「江崎に任せるから」と言ってくれたので、お断りはできないとなったのです。

voice6

独立して米農家になることを決断。
青年就農給付金を使って農機具を購入。

米作りをスタートさせた時は、まだ会社にも勤めていました。2つのことを同時に進めるのはとても大変でしたね。
それもあって独立をしようと思ったのですが、それだけが理由ではなくいろいろな意味でちょうど良いタイミングだったのです。
一つは「とよた中山間じおこし隊」の解約期間が満了になっていたこと。1年延長していましたが、ずっと延長するわけにはいかず、身の振り方を考えるべきタイミングでした。また、会社側から「うちのやり方を汲んだまま、独立して就農してはどうか」という話をもらったことも、私の背中を後押ししました。それから、青年就農給付金という国の制度がスタートしたことも大きかったですね。農機具を全く持っていなかったので、必要な道具を買い揃えるなど、準備資金として活用しました。本当にありがたい制度でしたね。
今、田んぼの広さは47反。米作りをスタートさせた時と比べると約8倍にまでなりました。できれば今後さらに大きくしていければと思っています。

voice7

気がついたら仕事も家も決まっていた。
人と人との絆や繋がりを感じる日々。

足助に住み始めて感じているのが、人と人との繋がりの大切さ。足助支所や農政課をはじめとする役所の皆さんはもちろん、ご近所の皆さんが何かあれば助けてくれます。農閑期になると地元の建設会社で働いているのですが、たまたま飲み屋で知り合った方と意気投合したら、そこの会社の会長さんで「明日から働きに来い」と言われて働くことになりました。足助に来ることになってからというもの、不思議なくらいに人の縁に恵まれて、仕事も家も気がついたら決まっていたという感じです。これから足助で暮らしたいという人がいたら、私がそうしてもらってきたように、移住希望者の役に立てることができればと考えています。
妻と3人の子どもも、ここでの暮らしをすっかり気に入ってくれているようです。特に長男は地域のお年寄りたちに孫のようにかわいがられています。「少し甘やかしすぎでは」、とこちらが心配になるほどです。裏を返せば、地域みんなで移住者を支えようとしてくれているということではないでしょうか。田舎で心豊かな生活を送りたいと考えているなら、周囲の人を引っ張り込んで一緒に楽しむことがポイント。足助なら、様々な人が暮らしの支えになってくれるはずです。

私の特等席

五反田町から見える山並

詳しい山の名前までは分かりませんが、私が暮らす五反田町から見て東側にある山々が私のお気に入りです。特に夕方は西日が当たって山が赤く色づいて、とてもきれいです。おすすめの季節は秋。もともと紅葉している上に、西日でさらに赤みがかって山が浮き上がって見えるんです。その様子を見ながら、気の置けない仲間たちと酒を酌み交わし「最高だな」と言っている時間が最高ですね。

特等席:写真

  • 移住・定住促進サイト

    ファースト暮らすとよた

    「ファースト暮らすとよた」は、
    街の賑わいと豊かな自然が共鳴する豊田市に定住をお考えの方々とのコミュニケーションを推進するプロジェクトです。

  • 豊田市
    • 〒471-8501 
      愛知県豊田市西町3丁目60番地 [ 地図 ]
    • 電話:0565-31-1212 ファクス:0565-33-2221
    • 開庁日:月曜日~金曜日 
      午前8時30分~午後5時15分
    • 閉庁日:土曜日、日曜日、祝日、12月29日~1月3日